東京高等裁判所 昭和49年(ネ)722号・昭49年(ネ)642号・昭49年(ネ)680号 判決
(一)前に判示したとおり第一審被告清水は甲車に対する運行供用者としての責任を免れないものであるが、その責任の程度について判断する。≪証拠≫によると、第一審被告清水の子である訴外清水貞治は本件事故より三か月ほど前から啓二と知り合ったが、同事故のあった昭和四五年六月二二日の前夜第一審原告初枝の経営するスナック「コマツ」に甲車を運転して赴き、同所で啓二および同じく顔見知りの小川哲生の三人で食事をともにし、雑談しているうち、同日午後一一時頃啓二が貞治に対し、「敏枝を乗せるから一寸車を貸してくれ」と申し込んだこと、貞治はもともと啓二に好意をもっておらず、むしろ同人が鳶職の手伝いをしたりなどしていて粗暴な態度に出ることがあり、暴力団とも関係があると聞いていたため、内心これを拒絶したかったが、その旨を述べるのをためらい、やむなく右申出を承諾したこと、次いで「コマツ」の店から出て、その店先に駐車していた甲車の運転席に貞治が乗っていたところ、敏枝を伴って店を出てきた啓二が「どいてくれ」と云ったため、しぶしぶ同人に運転席を譲り、敏枝は助手席に、貞治は後部座席の啓二の後に、小川啓生は同じく後部座席の敏枝の後に乗って発車し、本件事故現場にいたったことが認められる。もっとも原審証人石塚真智子は、啓二はやさしい性格であったと供述するが、前掲各証拠にてらすと、同証人は啓二の性行を熟知していないため、そのような証言をしたものとみられるのでこれを採用せず、他に右認定に反する証拠はない。右のような本件事故直前における甲車の運行開始の状況および後に(二)の(ロ)で認定する事情をも併せ考慮するときは、第一審被告清水の甲車に対する運行支配および運行利益は著しく稀薄であり、その責任の程度は五割と認定するのが相当である。<中略>
≪証拠≫によると、第一審原告初枝がスナック「コマツ」を開店したのは、昭和四五年四月一〇日であって、同原告の娘敏枝は同店で客の応待などの業務に従事していたが、開店後間もなく客として来た啓二と知り合い、やがて変愛関係に陥り、二人は将来結婚を約するまでになり、かなり密接な交際を続けていたこと、事故前夜の午後一一時頃敏枝は啓二よりドライブに誘われ、当初店の手伝いの関係もあって多少のためらいをみせたが、結局右の誘いに応じ、店にいた母初枝の同意を得ず無断で店を出て、啓二が運転し、清水貞治および小川啓生が後部の座席に同乗する甲車の助手席に乗りドライブに出かけ本件事故にあった(その時刻が翌日午前二時三〇分頃という深夜であったことは当事者間に争いがない)ことが認められる。
右認定のような事実関係のもとにおいて、同乗者たる敏枝ないしその相続人たる第一審原告らの全損害を亡啓二ないしその相続人たる第一審被告義雄、同サタに負担させるのは衡平の観念および信義則に照らし妥当性を欠くものというべきであり、前記同乗の目的、態様その他の事情を考慮すると、右第一審被告義雄、同サタに対する損害賠償は全損害の四割を減額し、残余の六割に限って請求しうるものと解するのを相当とする。
(畔上 岡垣 唐松)